いのけんブログ 

一度、うつ病になってしまったからといって人生が終わる訳じゃない。思考のクセを変えることにより人生は劇的に変えられる!そのヒントをこのブログで紹介しています。

消えない悩みの科学的消去法(メンタリストDaiGo) 反芻思考って何?反芻思考を止める方法は?


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みなさんはクヨクヨと同じことをずっと考えてしまうことはありませんか?

 

この悩みが頭から離れずクヨクヨとずっと考えてしますことを「反芻思考(はんすうしこう)」と言います。

 

この記事では「反芻思考」の止め方ついて解説をしたいと思います。

 

ちなみにこの記事はメンタリストとして有名なDaiGoさんのYouTube動画「消えない悩みの科学的消去法」https://youtu.be/-tEzsLmFIMwの内容を文字に起こして解説したものになっています。

 


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反芻思考とは

 

反芻思考とは自分の欠点や自分の抱えている悩みなどをずっとクヨクヨと考えてしまう思考のことをいいます。人間ですから誰しも悩みや問題はありますが、反芻思考の人は四六時中ずっとそのことを考え続けてしまいます。スマホで例えるならば、あるアプリがバックグラウンドで常に通信しているような状態です。

 

反芻思考が続いたらどうなる?

それでは反芻思考がずっと続いた場合どうなってしまうのでしょうか?これもスマホで例えてみましょう。スマホでアプリがバックグラウンドで常に通信していた場合、どうのようなことになるでしょうか

  • バッテリーの減りが早くなる
  • スマホの動作が遅くなる、最悪の場合フリーズしてしまう

反芻思考が続いた場合、人間の身にもこのスマホと同じことが起こります。

  • バッテリーの減りが早くなる→体力の消耗が激しくなる
  • スマホの動作が遅くなる→頭の回転が遅くなる

これは怖いですね

 

 そして、同じことをずっと考えてしまうため、目の前の仕事に集中できなくなりまそうするとどうなるか?目の前の仕事でもミスをして新たな悩みを抱えることになります。

 

前から抱えていた悩みに加え、新たな悩みを抱えてしまう

そして更に思い悩むことになり、また仕事でミスをして更に多くの悩みを抱えてしまう……

まさに無限ループに陥ってしまうのです。

 

この反芻思考はうつ病の根本原因になるとも考えられています。反芻思考は容赦ない悪影響を及ぼします。

 


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反芻思考を止める方法

反芻思考を止める方法、それは「自然の中を歩く」ことです。

 

自然というのは森の中でも良いですし、近くに森なんてないという場合は新宿御苑のような公園でも効果はあります。

 

これはスタンフォード大が行った調査によって科学的に証明されたということです。

スタンフォード大が発表した論文によると、自然の中を歩いた人の脳をスキャンしたところ悩む時に使われる前頭前野の活動が抑えられたそうです。

 

近くに自然はないし、また散歩をする時間もないという方は、部屋の中に観葉植物を置く だけでも癒し効果は得られるそうです。なおこの観葉植物なのですが、切り花ではなく土に植えられた鉢植えの方が良いということです。デスクに観葉植物を置くだけでも

  • 15%以上、良いアイディアが思い浮かびやすくなる
  • 疲労軽減
  • 頭痛軽減
  • 肌の乾燥が改善

などの効果が得られたとの研究結果もあります。

 

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まとめ

  • 反芻思考を止めるためには自然の中を歩く
  • 近くに森がない場合は大きめの公園の中を歩いてもOK
  • 観葉植物(ポトスなど)を部屋の中に置くだけでも効果がある

 

反芻思考はうつ病の根本原因だとも言われています。生活の中で自然に触れ合うことによって反芻思考を止めることが出来ます。意識して自然と触れ合い、自分の身体と心をリフレッシュしてあげて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朔日(ついたち)参りに行ってきました 朔日参りって何?作法は?ご効果は?

 

昨日は2月1日だったので近所の氏神神様である小島神社に朔日(ついたち)参りに行ってきました。昨年は月によって行ったり行かなかったりだった朔日参りでしたが、心機一転今年は毎月1日にはお参りに行こうと決めました。

 

僕は3年前に保険代理店として独立をしました。独立当初のまだ顧客数も売上も少ない頃、知り合いの社長さんが朔日参りを勧めてくれたのが朔日参りのことを知るきっかけでした。最初はただの験担ぎで行っていたのですが、朔日参りの効果があったのか売上も順調に伸びました。ただ僕という人間は忙しさにかまけてしまうことが多く昨年は2~3度しか行くことが出来ませんでした。

 

朔日参りの効果は自分が身をもって実感しているので今年はちゃんと毎月欠かさず行こうと思っています。開運効果も見込める朔日参り、皆様におススメする意味も込めまして解説をしたいと思います。

 

朔日参りの起源

 日本では明治5年にグレゴリオ暦が導入されるまで太陽太陰暦が使われていました。この太陰太陽暦は月の運行を規準としているため1日が新月、15日が満月にあたります。占いが好きな方はご存知かと思いますが、新月は「新しいことを始める」のに適していると言われています。また満月は月の周期の中でクライマックスと言われており「収穫」に適していると言われています。ものごとには全てタイミングというものがあるのですが、月の運行周期を意識することによって我々は生活の中でちょうど良いタイミングを知ることが出来るのです。

  なお、ご祈念をする際には、お願いごとをするというよりは、「感謝を伝える」「1ヶ月こういう月でした」という気持ちを伝えるのが良いそうです。

 

 

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参拝する時の作法

 それでは次に神社を参拝する時の作法について解説をいたします。

なおこれから書くのは特に朔日参りに限った作法ではないので、初詣の時なども参考にしてくださって大丈夫です。

 

  1. 入口の鳥居をくぐる前に会釈をし、気持ちを引き締めてから境内に入る
  2. 手水舎の水で心身を清める。
  3. 参道を通ってご神前へ進む
  4. 賽銭箱にお賽銭を入れる
  5. 二礼二拍手一礼の作法で拝礼し、会釈をしてから退く

 ※なお参道の中央は神様が通る道(正中/せいちゅう)であることから、通らない方が良いという意見があります。これに関しては諸説あるようで、ネットで検索してみても「正中通ることまかりならん」派と「真ん中通るなとかただのデマだしw」派がバチバチ火花を散らしているのが現状です。

 

 ちなみに東京都神社庁は「真ん中は通らない方が良いんじゃないの」派のようです。

宗教法人 東京都神社庁HPより引用

参道の歩き方

 神社では参道の中央を神様が通る道(正中/せいちゅう)と捉えることがあります。ですから、参道の中央を避けて進むのは敬意の表れといえます。また参道の中央を横切る際に、軽く頭を下げながら通ったり、中央で神様に向き直って一礼してから横切るという敬意の表し方もあります。


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朔日参りの効果 

 私の勝手なイメージなのですが、朔日参りというと自営業者の方や企業の経営者の方が行っている印象があります。無病息災、家内安全、商売繁盛、生業繁盛などの験担ぎに朔日参りに行っているイメージがあるからです。

 では朔日参りはただの験担ぎなのでしょうか?

私は朔日参りには験担ぎ以上の効果があると思います。

 

  • 感謝する習慣が出来る
  • 毎月、自分の行動の振り返りが出来る
  • 神社は自然の中にある場合が多く、森の中を歩くことによってリラックス効果を得られ反芻思考を止めることが出来る。
  • ひと月という期間を意識することが出来る
  • 神様を前にすることによって謙虚になれる

 これらのことは多くのビジネス書や自己啓発本で実行することを勧められていることです。それが朔日参りをすることによって実践することが出来るのです。つまり朔日参りをしたらご褒美として神様がご利益をもたらしくくれるのではなく、朔日参りをすることにより自分が良い方に変化、成長しその結果多くの成果が表れるということなのです。まぁこれはあくまで私の一意見なのですがね。ただ私自身が実践したところ効果はとても実感出来たのは事実なので、これを読んで下さった皆様も、是非朔日参りに行ってみて下さい。思わぬ成果が得られるかも知れませんよ。

 

 

 

 

 

 

 

上司が帰るまで部下は帰れないって風潮、お前らクソだと思わないの?


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会社にいる時間≠就業時間

 

僕がまだ会社の中で若手と呼ばれていた頃、上司にこう言われたことがある。

 

「おい、大石。会社におる時間イコール就業時間じゃねぇからな。残業は上司の指示のもとで行ったものしか認められんけぇな」

 

つまり、本来は早帰り勤務だったのに通し勤務をした場合、それが上司の指示でない場合は残業は付けるなということだった。

 

当時は男性社員のほとんど(体感で95%くらい)がシフト勤務なんてしていなかった。それどころか閉店後も、上司が残っているのに部下が先に帰るなんてもってのほか!という空気も色濃く残っていた。

 

「やることもないのに、上司が残っているという理由で会社に残っているのはおかしい」

 

ある時、同期入社の連中と仕事帰りに飲みに行った際、僕は漏らした。

 

「いやいやケンちゃんそれは違う。仕事なんていくらでもあるんだから、やることがないなんていうのはケンちゃんの意識が低いだけ」

「お前は自分が貰っている給料以上の利益を会社にもたらしているのか?まだ給料泥棒の身で自分の権利を主張するな!」

「残業ってお前、時給で仕事してる訳じゃないだろ?お前はアルバイトか?入社して何年経つんだよ……まだアルバイト気分が抜けないか?」

 

同調して貰えると思って言った言葉だったが同期の連中からフルボッコにされた。

 

確かに僕は出来が悪かった

自分でも悲しくなるほど出来が悪かった

 

そのため会社ではいつも上司や売場の先輩から怒られた

 

情けなかった

心底情けなかった

上司や先輩からだけでなく、同期入社の仲間からこの言われよう……

能力はすぐには上がらない

でもすぐに出来ることはある……

明日からは誰よりも早く出社しよう

そして誰よりも遅くまで仕事をしよう

それが無能な僕のせめてもの罪滅ぼし

 

当時の僕は本気でこう考えそして実行をした。すると少しずつ周囲の僕を見る目が変わってきた。

 

「最近、大石は変わった」

「大石の目の色が変わった」

「大石が一皮剥けた」

 

そんなことはない、僕は相変わらずダメ社員のままだ。

変わったことと言えば、売り場で一番早く出社し一番遅くまで残っているということだけ

それだけで僕の評価は笑ってしまうほど変わった

僕の能力は全然変わっていないのに。

 

 


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少しずつ仕事が楽しくなってきた

 

「とにかく誰より早く出社して誰よりも遅くまで仕事をする作戦」のお陰で社内的な評価が上がった僕は仕事が少しずつ楽しくなってきた。

 

給料はそんなに上がっていないのだが、「周りから一目置かれている」というだけで気分が良く仕事も頑張れる。

 

やがて僕も責任ある仕事を任せて貰えるようになった。

 

出張にも行かせて貰えるようになった。

 

当時、僕は菓子売場の担当だったのだが、「週替わりお取り寄せスイーツ」という企画を出したところ採択され運営を任されることになった。

 

岡山店で一番のダメ社員と罵られていた僕だったが、この頃には「スイーツのことは大石に聞け」とまで言われるようになっていた。

 

周りから認められるというのは非常に気分の良いことだった

周りから一目置かれるというのは非常に気分の良いことだった

 

もっと売り上げを伸ばしてやろう

もっと凄いお菓子を引っ張ってきて行列を作ってやろう

 

仕事が楽しくなっていた僕は毎日終電ギリギリまで店に残っていた。

僕が残っていることで帰りづらくなっている後輩たちがいることも知らずに

 

当時は「ブラック企業」なんて言葉はなかった

当時はブラック企業なんて言葉はなかった


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新入社員研修での人事担当課長のひと言が全てを物語っていた

 

僕が大学を卒業したのは1998年の9月30日

 

大学5年の時、単位が1単位だけ足りなくて半期だけ留年したためにこんな中途半端な時期になった。そして就職が1998年10月1日。

 

同じ年に就職した同期入社の仲間が本当なら100名弱いたのだが、入社が半年遅れたため入社式も新入社員研修も2人で受けた。そう、僕の他にもうっかりさんがもう1人いた。

 

この2人で受けた新入社員研修の際、僕は講師だった若い人事担当の女性課長の言葉に耳を疑った。

 

それは研修最終日の午後、就業規則の説明の時間ことだった。

 

「……有給休暇は入社後6ヶ月が経過、なおかつ全労働日数の8割以上出勤した場合、10日の有給休暇が支給されます……」

 

「まぁ、一応規定ではこうなっていますが病気の時以外は有給は取れないものと思って下さい。」

 

当時から生意気だった僕は、人事担当課長のこの言葉をスルーすることが出来なかった。

 

「いやちょっと待って下さい。有給休暇は会社が従業員に与えるものじゃないんですよ。これは国が定めている労働基準法により労働者に認められている権利です。課長にそのような発言をする権限はないはずですよ?」

 

この時、人事担当の課長の表情がこわ張った。

 

若くて美人なキャリアウーマンだったがピクンッ!と眉をひそめる音が聞こえてきそうだった。

 

新入社員にこのようなモノの言われようをされたら腹も立つだろう。

 

そして僕の言っていることが正論なため言い返すことが出来ず余計に腹が立ったのだろう。

 

「そうですね、大石クンのいう通りです。失礼いたしました」

 

3人しかいない研修室の空凍りついていた。

 

やばいと思った僕は咄嗟に答えた

 

「いえ、課長。僕こそ新入社員の分際で失礼なことを言ってしまいすみませんでした」

 

当時はブラック企業などという言葉はなかったが、ほとんどの中小企業は僕が勤めていた会社と同等か、それ以下の遵法意識しかなかったと思う。

 

労働時間は毎日12時間以上

 

僕が勤めていた会社は地方百貨店

 

営業時間は午前10時から午後の7時までだった。

 

しかし午前10時に店を開けようと思ったら従業員はそれより早く来なければならない。僕の会社では出勤時間は9時10分と定められていた。

 

しかし出勤時間が9時10分と定められていて9時10分に出社すると間違いなく嫌味を言われる。いくらか早く来ないといけない。

 

「いくらか早く」って何分?5分?10分?これには明確な規定がない。僕は嫌味を言われるのが耐えられないので30分は早く出社していた。

 

そして今度は退社時間だが、午後7時まで店を営業していた場合、従業員は勿論7時には帰れない。

 

お客様を見送ってからレジを閉めたり後片づけをしたりと閉店後にやらなければならないことは結構ある。

 

退社の定時は午後7時40分と定めれらていたがその時間に帰れることはほとんどない。

 

特に男性社員の場合は9時10時まで残業することは珍しくなく、1日の労働時間は12時間をゆうに超えた。

 

ちなみに店の営業時間が午前10時から午後7時だったので、シフト勤務制が導入されていた。

 

女性社員や契約社員はシフト通りの勤務をしていたのだが、男性社員は「シフト勤務なんてもってのほか」という空気があり僕も毎日毎日シフト無視の開店から閉店までの通し勤務をしていた。

 

男性社員がシフトを無視して通し勤務をした場合の時間外手当はみんな申請しないというクソみたいな不文律も存在していた。

 

「なんで誰もこのことを問題にしないんだ?」

 

間違ってもそんなことは口に出来ない空気が僕の会社の中には流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校時代~新社会人


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高校時代

前回の自己紹介では中学時代まで書いたので、今日は高校時代以降を書こうと思う。

高校は岡山市内の県立高校の普通科に進学した。
岡山県岡山城東高校
僕の学年が4期生という新設高校だった。

今更、若い時の自慢をするつもりはないのだが、この岡山城東高校は岡山県内では割と人気の高い学校である。3つ年上の兄は城東高校の1期生。僕の両親は、兄弟そろって城東に進学したことを誇りに思ってくれていた。

高校時代はいじめには合わなかった。
と言うか、城東高校ではいじめは存在しなかった。
やはり、高校生くらいになると皆成熟してくるので、いじめのようなくだらないことはしなくなるのだなと当時の僕は感心した。

高校時代は片思いだったが恋もして、中学の頃ほどではないけど部活動もして、周りの友達に見栄を張るためだけに勉強もした。将来やりたいことなどまだまだ見つけられなかった僕は、ただただ親の喜ぶ顔が見たいのと、友達から一目置かれたいという思いだけで勉強をした。そして現役で関西学院大学の法学部に合格した。

 

 





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大学時代

関西学院大学
昨年、アメリカンフットボール部の悪質タックル問題で一躍脚光を浴びた大学。
東日本の方々にはいまいち知られていないかも知れないが関西私大の雄だ。僕は高校時代、数学、生物という理系科目が全く出来なかったので国立大学は諦めていた。高校時代は英語が好きだったので漠然と将来は語学を活かした仕事に就けたら良いな…と思っていたのだが、「英語は所詮コミュニケーションのツール、英語を使って何がしたいのかが大切なんだぞ」という兄の言葉に何となく納得し、何となく耳障りの良い法学部を受験。そして何となく合格した。特に大学でやりたいことはなかった。

大学時代で何をやったか?

パチスロと麻雀の2つを死ぬほどやった
一応軽音楽のサークルに所属していたが、楽器を触っている時間よりも牌を触っている時間の方が長かった喫茶店でアルバイトをしていたが、バイトで稼いだ金は全てパチ屋に奉納した。親からの仕送りもバイトで稼いだ金も飲み屋とパチ屋に奉納するというどうしようもない放蕩息子。この頃から僕は自分のことが嫌いになっていた。

こんな毎日を送っていて良い結果になる訳もなる、僕は大学を2回留年した。

就職活動もことごと落とされて結局内定を貰えたのはコネ受験した1社だけだった。「オレ、一体何やってんだろ……」大学時代、僕は数えきれないくらいこのセリフを吐いた。就職で実家に戻った時、笑顔で迎えてくれた母親の笑顔が辛かった。

 


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就職、そして社会人

就職は地元に戻った。

岡山の地方百貨店、5年半も学生をしていた僕は社会人の洗礼を浴びることになる。

最初の上司は野球部上がりの典型的な体育会系、くる日もくる日も怒鳴られた。

「いつまでこんな生活が続くんだ…?」
先輩も同僚も身近に幸せそうな顔をして働いている人はいないように見えた。

僕が勤めていた会社では人事異動が割と頻繁にある。上司とそりが合わなくても2~3年で変わることが多い。最初に配属になった職場の体育会系上司とは半年でお別れをした。そのあとの上司はとても優しい人だったが1年半で別れた。今度は僕が異動になったからだ。入社してすぐ配属になったのは食器売場だったが、次の異動で行ったのは食品売場。なんとスイーツ担当になった。

 

 

 

自分の子どもがいじめられたら僕に何が出来るだろう


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テレビでいたましいニュースを見た。

昨年11月、仙台市で小学2年の女児がいじめられていることを苦にし、母親が無理心中をはかったと見られるというニュースだ。

 

父親によると、女児は昨年の5月から、同級生に無視されたり仲間外れにされたりといったいじめを受けるようになり、両親に「学校に行きたくない」と訴えていたという。

 

両親は学校に相談をし、学校もいじめの該当児童やその親に対し対応はしていたみたいなのだが事態は改善されなかったという。 女児は「つらい」「しにたい」というメモを両親に渡すようになり、それを苦にした母親が精神的に追い詰められてしまい体調を崩す。不眠などの症状で通院するようになっていた。

 

このお母さんがどんな思いで小学2年の自分の娘に手をかけたのか……
仕事を終え帰宅し、愛する妻と娘が変わり果てた姿になっているのを発見した時の、お父さんの気持ちを推し量ると僕は涙が止まらなかった。

 

 





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いじめられていることを親に言える?

僕には中1の娘がいる。
僕自身小学校・中学校の頃にいじめられた経験があるので娘がいじめに合っていないか心配だ。「いじめられていない?」と娘に聞いたりもする。娘の返事は決まって「そんなことされてないよ」。たとえいじめに合っていたとしても、親には言えないだろう。

 

思い返してみれば僕もそうだった

 

小学校・中学校のいじめられっ子時代、どんなにツラくても親に言うこと出来なかった。親に心配を掛けたくないという気持ちが強かったからだ。

 

あと、親に言えなかった理由がもうひとつある

 

親にいじめられていることを言った場合、親は学校に問題を解決するように訴えるだろう。そうなれば学校としては該当生徒を呼び出し事情徴収、そして「もう大石くんをいじめちゃいけないよ」という指導を行う、こういった展開になることは火を見るよりも明らかだ。

 

問題はこのあと、もし学校の先生が「もう大石くんをいじめるな」と言ったからといってあのヤンキーどもは僕へのいじめを止めるのか?止める訳がない。そんな生易しい連中なら、最初から僕のことをいじめていない。「大石がいじめられていると教師にチクった」あのヤンキーどもはそう思うに違いない。そして激高したヤツらは僕に更なる制裁を加えるだろう……。そう考えるととてもじゃないけど親には言えない。事態をこれ以上悪化させたくなかったのだ。

 

大人目線で見ると「いじめ問題を解決しなければいけない」と思うのだが、実際にいじめられている時は、このいじめという問題を解決するのは不可能だと思っていた。このいじめ問題を終わらせるには、転校するか自分が死ぬかしかないと思っていた。周りから見ると大したことないようなことでも本人にとっては死ぬしかないほどの大問題。勿論死んじゃあダメなんだけど、本人はそれくらい追い詰められているんだよ。

 

もし自分の子どもがいじめられたら僕には何が出来るだろうか

もし今、自分の娘がいじめられているとしたら、僕には何が出来るだろうか?いじめのニュースをテレビで見るたびにこのテーマについて考える。

学校に相談する?

そりゃ取り合えず学校には言うだろうが、特に期待はしない。だって教師が簡単に解決出来るのなら、そもそも学校でいじめは起きていないだろう。っていうか教師は既にこの問題を解決出来ていないのだ。これは教師を責めているのではない。教師をdisっている訳でもない。そもそも学校の先生にそこまでの責任を求めるのが酷なのだ。

 

それでは僕には何が出来るのだろうか?

僕に出来ることが3つあると思う

  • 子どもに寄り添う
  • 子どもの通学路に立って娘をいじめている子どもに笑顔で挨拶をする
  • どうしても解決出来ない場合は転校する

 

 

子どもに寄り添う

子どもがもしいじめに合っていた場合、そのことを親に伝えるのはとてもツラいことだ。これは私自身経験しているので痛いほど良く分かる。だから子どもに寄り添う時は、「100%お父さん(もしくはお母さん)はあなたの味方だからね」ということを伝えてあげる。あと大切なのは、「あなたにも問題があるのでは?」というようなことは絶対に言わこと。その言葉は子どもがもっと成長してから言ってあげれば良いのです。

寄り添う時に掛けてあげる言葉は「ツラかったね」「大丈夫だよ」「お父さんはあなたの味方だからね」の3つ

 

 


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子どもの通学路に立って娘をいじめている子どもに笑顔で挨拶をする

これは僕の知り合いの実体験なのですが、これを実際にしたら2週間程度でいじめがなくなったという話です。自分の子どもは嫌がると思いますが、これを行って実際にいじめがなくなったという成功事例は数多く報告されています。

やはり子どもは子ども、学校の先生は毎日接しているため舐めているとこをがあっても、知らないヨソの大人は怖いのです。勿論、子どもと言っても色々なタイプがいるので100%成功する訳ではないのですが、試してみる価値はあります。

 

どうしても解決しない場合は転校する

どうしてもいじめが解決しない場合は転校すれば良いんですよ。まぁ最終手段かも知れませんが、それで可愛い自分の娘が地獄のような苦しみから開放されるのなら安いものです。いじめられたら子どもは「死ぬこと」を考えてしまうほど悩み苦しみます。多くの場合ではこの問題は子ども自身の力では解決出来ません。自分の力で解決出来ないから苦しむのです。「もう転校しようか?」その選択肢があるということを子どもに伝えるだけでも、子どもは安心します。もし僕自身、この問題に直面した場合には「転校」の選択肢を手元に置いていたいと思います。

 

まとめ

いじめの問題は根深く、簡単には解決されません。しかもスマートフォンSNSの登場により、僕が子どもだった頃よりも複雑に陰湿になっています。この世の中からいじめがなくなるのが理想ですが、恐らくそれは難しいでしょう。いじめがこの世からなくならない以上、身近な人がいじめられた時の解決方法を知っておくことは非常に重要だと思います。このブログが皆様のいじめ問題解決の一助になれば幸いです。

 

 

 

 

小学生~中学生時代


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自己紹介

 皆さま、初めまして

小説『パチスロで壱千萬円負けた男』の作者、大石ケンと申します。

この小説は小説投稿サイトE☆エブリスタで読めます。リンクを貼っておきますので興味が湧いた方は是非読んでみて下さい。

estar.jp

小説の紹介はさておきまして、まずはプロフィールから

生年月日:昭和49年8月28日(44歳)

血液型 :O型

家族構成:3歳年上の妻と中学1年の娘の3人

     ちなみに僕自身は男ばかりの3人兄弟の次男です

すまい :岡山です、岡山ピーポーです 

 

 

 


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小学5年の時、突如としてイジメは始まった

 小学生時代は活発で陸上や水泳の大会では県大会の常連だった。
僕は成長が周りより早く、小学6年の時には身長が164cmとアタマひとつ抜けていた。性格は、とにかく人を笑わせるのが好きでいつも誰かを笑わせることばかり考えている子どもだった。

 

 

こうやって見ると、いかにもクラスの人気者!といった感じに思われるかも知れないが、実はイジメられっ子だった。今で言うところのスクールカースト上位のメンバーからイジメられていた。

 

それまでは何の問題もなく楽しい毎日を送っていたのに…。
小学5年の2学期
夏休み明けのある日、突如としてイジメは始まった。

 

いじめられると言っても、暴力をふるわれるといったフィジカルなものではなく、集団で無視をしたり、僕に聞こえよがしに悪口を言ったり、昼休みに教室を離れた隙に教科書を教室にぶちまけられたり上履きの中にごみを詰められたりというメンタルなイジメだった。本当に唐突に無視をされるようになったので、最初は意味が分からなかった。しかし徐々にその内容がエスカレートしていき僕は自分がいじめられていることに気付いた。

 

僕は小学6年の時点で身長が165cmという非常に早熟な子どもだったので、今から考えると身体能力にモノを言わせていじめっ子をしばき上げれば良かったのだが、当時の僕は報復が怖くてそれが出来なかった。1対1でケンカをすれば負けない自信はあったが、それで勝ったとしても余計にイジメられるだけだと思っていたからだった。

 

そこで僕が取った対応策、それは非暴力絶対服

 

ヤンキーAが声高に僕の悪口を言っていても聞こえないフリをし、ヤンキーBが僕の体育館シューズをゴミ箱にダンクしても黙って拾った。
仲良くしてくれる友達はいたが、その友達の有難みよりイジメられるツラさの方が先に立った。今、振り返ると、100人のフォロワーが好意的なコメントをくれているのに、そのことよりもごく少数のアンチコメに過剰に反応してしまっているような状態だったのかも知れない。

 

ヤンキーからはいじめられ女子生徒からはバイ菌扱いされた中学生時代 

中学校に入ったらこの生活は少しは変わるかなと淡い期待を抱いていたが、事態はそんなに好転しなかった。好転どころか、スクールカースト上位の男子(ヤンキー)からイジメられるのに加え、女子生徒の約8割からバイ菌扱いを受けるという仕打ちが加わった。

 

僕が給食当番の時などは、僕が配ったものは女子は全員残す。プリンなど配ろうものなら大変なことになった。
「もう!私、プリン楽しみにしとったのに!」
そう文句を言いながらクラスの女子全員がプリンを残す。やがて僕は牛乳しか配らなくなった。
気分は牛乳配達員
明らかに異常なのに見て見ぬフリをする教師たちにも絶望した。

 

人生の中で最も多感な中学時代
この中学時代を僕は女子生徒の8割からバイ菌扱いを受けるというそれはそれは悲しい。思いをしながら過ごした。

 

この小学校・中学校の頃のイジメは後々の僕の人格形成に大きな影響を及ぼしていると自分では思っていた。このイジメを経験した後の僕は、異常なまでに人に嫌われることを恐れるようになった。異常なまでに人目を気にするようになった。

 


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部活動は死ぬほど頑張った

 

いじめられたことばかり書いたが中学時代、楽しい思い出もあった。

部活動だ

僕の通っていた中学は、田舎度数の相当高い学校であったが何故か男子バレー部は強かった。僕の前の代までは3年連続県大会ベスト4、僕の代では県大会準優勝だった。

顧問の先生がとにかく熱心で日曜日だろうが夏休みだろうが練習があった。
今の時代では「ブラック部活」などという言葉もあるが、当時はそんなことを言う人はいなかった。年間で部活が休みの日は恐らく10日もなかったと思う。でもそお陰で僕たちは県大会2位という誉れを手にすることが出来た。この中学時代の部活動が僕の人生の中で一番頑張ったことかも知れない。