小学生~中学生時代
自己紹介
皆さま、初めまして
小説『パチスロで壱千萬円負けた男』の作者、大石ケンと申します。
この小説は小説投稿サイトE☆エブリスタで読めます。リンクを貼っておきますので興味が湧いた方は是非読んでみて下さい。
小説の紹介はさておきまして、まずはプロフィールから
生年月日:昭和49年8月28日(44歳)
血液型 :O型
家族構成:3歳年上の妻と中学1年の娘の3人
ちなみに僕自身は男ばかりの3人兄弟の次男です
すまい :岡山です、岡山ピーポーです
小学5年の時、突如としてイジメは始まった
小学生時代は活発で陸上や水泳の大会では県大会の常連だった。
僕は成長が周りより早く、小学6年の時には身長が164cmとアタマひとつ抜けていた。性格は、とにかく人を笑わせるのが好きでいつも誰かを笑わせることばかり考えている子どもだった。
こうやって見ると、いかにもクラスの人気者!といった感じに思われるかも知れないが、実はイジメられっ子だった。今で言うところのスクールカースト上位のメンバーからイジメられていた。
それまでは何の問題もなく楽しい毎日を送っていたのに…。
小学5年の2学期
夏休み明けのある日、突如としてイジメは始まった。
いじめられると言っても、暴力をふるわれるといったフィジカルなものではなく、集団で無視をしたり、僕に聞こえよがしに悪口を言ったり、昼休みに教室を離れた隙に教科書を教室にぶちまけられたり上履きの中にごみを詰められたりというメンタルなイジメだった。本当に唐突に無視をされるようになったので、最初は意味が分からなかった。しかし徐々にその内容がエスカレートしていき僕は自分がいじめられていることに気付いた。
僕は小学6年の時点で身長が165cmという非常に早熟な子どもだったので、今から考えると身体能力にモノを言わせていじめっ子をしばき上げれば良かったのだが、当時の僕は報復が怖くてそれが出来なかった。1対1でケンカをすれば負けない自信はあったが、それで勝ったとしても余計にイジメられるだけだと思っていたからだった。
そこで僕が取った対応策、それは非暴力絶対服
ヤンキーAが声高に僕の悪口を言っていても聞こえないフリをし、ヤンキーBが僕の体育館シューズをゴミ箱にダンクしても黙って拾った。
仲良くしてくれる友達はいたが、その友達の有難みよりイジメられるツラさの方が先に立った。今、振り返ると、100人のフォロワーが好意的なコメントをくれているのに、そのことよりもごく少数のアンチコメに過剰に反応してしまっているような状態だったのかも知れない。
ヤンキーからはいじめられ女子生徒からはバイ菌扱いされた中学生時代
中学校に入ったらこの生活は少しは変わるかなと淡い期待を抱いていたが、事態はそんなに好転しなかった。好転どころか、スクールカースト上位の男子(ヤンキー)からイジメられるのに加え、女子生徒の約8割からバイ菌扱いを受けるという仕打ちが加わった。
僕が給食当番の時などは、僕が配ったものは女子は全員残す。プリンなど配ろうものなら大変なことになった。
「もう!私、プリン楽しみにしとったのに!」
そう文句を言いながらクラスの女子全員がプリンを残す。やがて僕は牛乳しか配らなくなった。
気分は牛乳配達員
明らかに異常なのに見て見ぬフリをする教師たちにも絶望した。
人生の中で最も多感な中学時代
この中学時代を僕は女子生徒の8割からバイ菌扱いを受けるというそれはそれは悲しい。思いをしながら過ごした。
この小学校・中学校の頃のイジメは後々の僕の人格形成に大きな影響を及ぼしていると自分では思っていた。このイジメを経験した後の僕は、異常なまでに人に嫌われることを恐れるようになった。異常なまでに人目を気にするようになった。
部活動は死ぬほど頑張った
いじめられたことばかり書いたが中学時代、楽しい思い出もあった。
部活動だ
僕の通っていた中学は、田舎度数の相当高い学校であったが何故か男子バレー部は強かった。僕の前の代までは3年連続県大会ベスト4、僕の代では県大会準優勝だった。
顧問の先生がとにかく熱心で日曜日だろうが夏休みだろうが練習があった。
今の時代では「ブラック部活」などという言葉もあるが、当時はそんなことを言う人はいなかった。年間で部活が休みの日は恐らく10日もなかったと思う。でもそお陰で僕たちは県大会2位という誉れを手にすることが出来た。この中学時代の部活動が僕の人生の中で一番頑張ったことかも知れない。