いのけんブログ 

一度、うつ病になってしまったからといって人生が終わる訳じゃない。思考のクセを変えることにより人生は劇的に変えられる!そのヒントをこのブログで紹介しています。

高校時代~新社会人


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高校時代

前回の自己紹介では中学時代まで書いたので、今日は高校時代以降を書こうと思う。

高校は岡山市内の県立高校の普通科に進学した。
岡山県岡山城東高校
僕の学年が4期生という新設高校だった。

今更、若い時の自慢をするつもりはないのだが、この岡山城東高校は岡山県内では割と人気の高い学校である。3つ年上の兄は城東高校の1期生。僕の両親は、兄弟そろって城東に進学したことを誇りに思ってくれていた。

高校時代はいじめには合わなかった。
と言うか、城東高校ではいじめは存在しなかった。
やはり、高校生くらいになると皆成熟してくるので、いじめのようなくだらないことはしなくなるのだなと当時の僕は感心した。

高校時代は片思いだったが恋もして、中学の頃ほどではないけど部活動もして、周りの友達に見栄を張るためだけに勉強もした。将来やりたいことなどまだまだ見つけられなかった僕は、ただただ親の喜ぶ顔が見たいのと、友達から一目置かれたいという思いだけで勉強をした。そして現役で関西学院大学の法学部に合格した。

 

 





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大学時代

関西学院大学
昨年、アメリカンフットボール部の悪質タックル問題で一躍脚光を浴びた大学。
東日本の方々にはいまいち知られていないかも知れないが関西私大の雄だ。僕は高校時代、数学、生物という理系科目が全く出来なかったので国立大学は諦めていた。高校時代は英語が好きだったので漠然と将来は語学を活かした仕事に就けたら良いな…と思っていたのだが、「英語は所詮コミュニケーションのツール、英語を使って何がしたいのかが大切なんだぞ」という兄の言葉に何となく納得し、何となく耳障りの良い法学部を受験。そして何となく合格した。特に大学でやりたいことはなかった。

大学時代で何をやったか?

パチスロと麻雀の2つを死ぬほどやった
一応軽音楽のサークルに所属していたが、楽器を触っている時間よりも牌を触っている時間の方が長かった喫茶店でアルバイトをしていたが、バイトで稼いだ金は全てパチ屋に奉納した。親からの仕送りもバイトで稼いだ金も飲み屋とパチ屋に奉納するというどうしようもない放蕩息子。この頃から僕は自分のことが嫌いになっていた。

こんな毎日を送っていて良い結果になる訳もなる、僕は大学を2回留年した。

就職活動もことごと落とされて結局内定を貰えたのはコネ受験した1社だけだった。「オレ、一体何やってんだろ……」大学時代、僕は数えきれないくらいこのセリフを吐いた。就職で実家に戻った時、笑顔で迎えてくれた母親の笑顔が辛かった。

 


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就職、そして社会人

就職は地元に戻った。

岡山の地方百貨店、5年半も学生をしていた僕は社会人の洗礼を浴びることになる。

最初の上司は野球部上がりの典型的な体育会系、くる日もくる日も怒鳴られた。

「いつまでこんな生活が続くんだ…?」
先輩も同僚も身近に幸せそうな顔をして働いている人はいないように見えた。

僕が勤めていた会社では人事異動が割と頻繁にある。上司とそりが合わなくても2~3年で変わることが多い。最初に配属になった職場の体育会系上司とは半年でお別れをした。そのあとの上司はとても優しい人だったが1年半で別れた。今度は僕が異動になったからだ。入社してすぐ配属になったのは食器売場だったが、次の異動で行ったのは食品売場。なんとスイーツ担当になった。